Skip navigation.



「今週のくじラブ・ワゴン」にもどる

2006年3月1日
第6話「元捕鯨船砲手を訪ねて... Part2」

今回も引き続き高知県室戸市にて長岡友久さんのお話に聞き入るユキさんとイヴァンさん。クジラの魅力と文化を後世に伝えていこうとホエールウォッチング船の船長さんとして活躍し、「クジラこそ我が人生」と言い切る長岡さんは、捕鯨が盛んだった頃長きにわたり砲手としてならしたクジラの専門家です。クジラのことなら何でもわかる彼だからこそ出来るこの仕事と共に、彼はクジラたちと新たな絆を築こうとしています。クジラに魅了された海に生きる男のロマンを2人はどうのように受け止めるのでしょうか?




<クジラのお話:第6話>
捕鯨オリンピック
今回のお話にもでてきた捕鯨オリンピック方式。これが、結果的に南極海のクジラを激減させてしまいました。

戦後間もない時期には、世界最大の動物シロナガスクジラの重量にして、約16,000頭までであれば早い者勝ちで捕獲してよいというルールがありました。つまり、小さなクジラを捕獲するよりは、大きなシロナガスクジラやナガスクジラをとったほうがクジラから油をとるのに効率が良いため、各国が先を争って大きなクジラを捕獲したのです。
下のグラフを見ても、いかに大きなクジラを獲りつくしてから、次に大きいクジラを捕獲していったかが良くわかります。


(捕鯨統計などからグリーンピース・ジャパンが作成)

クジラ肉給食と乱獲
この捕鯨オリンピックで他国に勝つことが敗戦で自信を失った日本人にとって、捕鯨ではがんばれるという自信を与えてくれたのです。また、クジラの肉を給食などで食べることによってその勝利の充実感を身近に感じていました。しかし、それが結果的にクジラの乱獲に手を貸してしまったことはあまり知られていません。

「あのオリンピック捕鯨はやり過ぎたと思う。獲れて母船が処理できずに捨てたこともある。肉もいいところだけとってあとは海にすてたものだ。(昭和)30年代の前半までは南氷洋のどこへ行ってもクジラが群れていたが、後半になると鯨の数がめっきり減ってしまった。キャッチャーで何日間走っても鯨に行き会わない。海水ばかりだった。」(和歌山県太地町出身の砲手の話「捕鯨II」 山下渉登 法政大学出版)

南極海の商業捕鯨はその後、1986年まで続くことになりますが、その間にもシロナガスクジラ、ナガスクジラなどクジラの種類ごとに次々と捕獲が禁止され、結局多くの国々が南極での捕鯨から脱退していきました。商業捕鯨最後の年には、日本が南極海で捕鯨をしている唯一の国だったのです。